皇后はそんな彼の優柔不断をなじり、脅迫してポッベア暗殺を命じる。
光景が目に思い浮かびます。

しかたなくドルジッラの衣服を借り、女装して妻のもとへ向かうオットーネ。
とても魅力的です。
しかしポッペアは愛の神の忠告で難を逃れる。

さらに皇后もこの事件に加担したとして、海岸から木製の小舟に乗せて流してしまう。

もはや邪魔者はいなくなり、ポッペアはめでたくネローネの皇后に。
王宮でポッペアの戴冠式がはなやかにおこなわれ、愛の神の言葉が正しいことが明らかになる。
面白そうですね。

ちょっと気分を変えてオペラの話を書きます。

うつくしいポッペアは、夫オットーネが戦争で留守の間、皇帝ネローネと不倫の関係に。
おっと意外な展開。
皇帝の裏切りを知った皇后オッターヴィアは、哲学者セネカに皇帝をいさめてくれるよう頼む。
光景が目に思い浮かびます。

ところが皇帝はセネカの忠告に怒り、宮廷から追放し、ついには死を与える。

一方妻の不倫を知ったオットーネは、腹いせに皇后の侍女ドルジッラを誘惑するが、やっぱり妻を忘れられない。
悲しいです。
いっそ殺してと思っても、愛するあまりできない。

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楢岡焼きは秋田県大仙市で焼かれている陶磁器のこと。

独特の群青色の釉薬、海鼠釉が鮮やかな色合いを出している。

1863年に地元旧家の小松清治が、
秋田の寺内焼の陶工を招いて窯を作らせたのが始まりとされている。
小松氏が5代にわたって窯を守ってきたが、
昭和初期に加藤唐九郎、浜田庄司などの指導により、技術を向上させた結果、
現在のような美しい陶磁器ができるようになった。


コーヒーカップや小鉢が中心。

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仙台市で焼かれる陶磁器。
江戸時代に仙台藩主であった伊達綱村が江戸から今戸焼の陶工を招いて、
日用品を焼かせたというのが始まり。


昭和初期に民芸運動の代表者の柳宗悦が、「東北を代表する民窯」と賞賛した。


江戸時代末期から続く乾馬窯ひとつで300年以上の歴史を守っている。


野趣あふれる釉薬、
特に黒と白のなまこ釉を同時に掛け流す掛け流しなまこ釉が大きな特徴でもある。
化学変化によって、味わいのある斑紋、流紋となる。

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越前焼は福井県丹生郡越前町の宮崎地区や織田地区で生産されている陶磁器。
釉薬を用いず、高温で焼成されるときに薪の灰が器に流れだし溶け込む釉の風合いが特徴。


越前焼そのものの歴史は非常に古く、
平安時代から始まっているのではないかとされている。
長い間、広く名前は知られず、第二次世界大戦後になって、
小山富士夫によって日本六古窯のひとつとして挙げられたときに、
この「越前焼」の名前がつけられた。

1970年ごろ越前陶芸村をきっかけに窯元が急増し、
観光客も訪れるようになった。若い感覚の作品も多いが、
昔ながらの焼き締めが中心。
1986年、経済産業省によって伝統工芸品の指定を受けた。


陶磁器というと絵柄などがついていたりましますが、
素朴な感じがまた素敵ですね。

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茨城県笠間市で焼かれている陶器。

江戸中期ころ、当時このあたりの名手であった久野半右衛門道延が近江信楽の陶工を招聘して釜と作ったことから始まる。
こののち笠間藩主によって保護され、甕・摺り鉢などの日用雑器が作られた。
幕末・明治維新にかけては、江戸に近いことから大量生産され、技術者や従事者が増えた。陶器商であった田中友三郎によってこの笠間焼の広報や販売経路を開拓したことが功を奏したそうだ。

現在では300人ちかい窯元や陶芸作家がおり、関東地区では益子にならぶ大きな窯業産地である。

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湖南焼(こなんやき)は1851年(嘉永4年)から1854年(嘉永7年)の間に、
滋賀県大津市長等山下、札之辻、または三井寺下鹿関町で焼かれた陶磁器。

永楽保全によって開窯した。

伝来品は数少ないが、保全の最晩年の作として、
名品が多く評価も非常に高い。


作風としては祥瑞、古染付、赤絵、金襴手などが多く遺存する。

2005年に山田青月によって再興された。

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薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器。
竪野系、龍門司系、苗代川系がある。
主な窯場は加治木町の龍門司窯、日置市(旧東市来町)の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯などがある。

「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手の磁器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれている。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、捕虜として連行されてきた朝鮮人陶工たちが、島津義弘の保護の下に発展させてきた。
1867年(慶応3年)のパリ万国博覧会に初出展され、欧米で流行したジャポニズム(日本趣味)に影響を与えたという。
2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品に指定。

白薩摩(白もん)
日置市(旧東市来町)美山地区にある苗代川窯で焼かれていた陶器。藩主向けの御用窯。
金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手がメイン。
元々は苗代川焼と呼ばれていた。

黒薩摩(黒もん)
白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器。
鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなる。
繊細かつ優美な白薩摩に対し、野趣溢れ重厚な面持ちがあるのが特徴。
特に、黒ヂョカ(茶家)と呼ばれる素朴な土瓶は、焼酎を飲むときなどに好んで用いられる。

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大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は、
福島県浜通りの双葉郡浪江町大堀で生産、焼かれる陶器。
単に相馬焼とも呼ばれる。

江戸時代の元禄年間に、相馬藩士の半谷休閑が地元で陶土を発見し、
下男の左馬に命じて日用雑器を焼き始めたのが始まりという。
浜通り北部に当たる相馬藩領は、相馬野馬追の伝統があるため、
藩主相馬一族の家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれている。

相馬市の相馬駒焼は藩への献上品として親しまれていた一方、
この大堀相馬焼は大衆向けの民窯として親しまれた。
とりわけ、相馬藩が特産物として奨励したために、
江戸末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業も見受けられた。

明治に入るとすっかり衰えものの、昭和に再興した。
1978年には国の伝統的工芸品の指定を受け、現在に至っている。

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九谷焼(くたにやき)とは、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器。


大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で、良質の陶石が発見されたのをきっかけに、
藩士の後藤才次郎を 有田へ技能の習得に赴かせて、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として始められた

しかしながら、約50年後(18世紀初頭頃)突然廃窯となってしまった。


「古九谷」は、青や緑を多用した華麗な色使い(青手九谷)と大胆で斬新な図柄が特色。

期色絵作品群の産地については、戦前から1960年代にかけて「九谷ではなく佐賀県の有田で焼かれたものである」という説が主張されはじめた。


有田の窯跡から古九谷と図柄の一致する染付や色絵の陶片が出土していること、
石川県山中町の九谷古窯の出土陶片は古九谷とは作調の違うものであったことなどから、
「古九谷は有田の初期色絵作品である」説が有力となった。車の査定・買取についてはこちらを参照下さい。


しかし、1998年、九谷古窯にほど近い遺跡から、古九谷風の色絵陶片が発掘されたことにより、「複数の産地で同一様式の磁器がつくられていた」可能性を探るべきとの意見もあって、
問題はいまだ決着を見ていない。

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